デフレ期?インフレ期?

インフレが予想されるとき、不動産と株にシフトするべきとされる。
 株は、生活に不可欠なものを提供する会社の株。

この考え方は、マネーの膨張に対して、生活に根ざした現物による資産構成を勧めるものだ。

経済学では、インフレ、デフレという言葉が歴史のあるものであり、その言葉を使うことが普通なのかもしれないが、貨幣価値で比較するのではなく、その人の価値で比較するべきだろうと思う。
 こうなると客観性が失われると批判されるだろう。
 社会政策として全体を把握する必要がある人は、客観性が必要だとは思うが、正確に把握しようとして、かえって間違えることが多いのではないかと思う。

世はデフレの時代と言われて久しいが、その時期でもマネーの膨張はあったと考えている。
 経営者(特に外国人)の報酬が、膨れ上がっている。
 それは、マネーの膨張による価値の低下を補おうとするかのごとくだった。
 それは、インフレ期と言ってよいのではないか。

それでは、どうするか?
先ず、自分の生活に必要なもので財産を構成する考え方が必要だ。
 不必要に高価なものは、はずす。

次に、それ以上のものの扱いを決める。
 ここから考え方が分かれる。
  不要として、所持しない。

  収益を生むものだけに限定する。

  自分の好みを貫く。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2017年09月01日 | Permalink

バブル・マネーゲーム

株式取引を見ていると、バブルとはこういうことだ、と感じざるを得ないことがある。
これは株式に限ったことではなく、あらゆるものに現われる。
 美術品、外国会社の取締役報酬など。

ある新しい会社が、同じ業界の大手会社の時価を超えたということも同じだと考える。
新しい会社の技術・手法に一部優れたところがあったとしても、それをあたかも会社全体のこととして評価することに強い違和感がある。
 マネーゲームの世界ととらえるしかない。

マネーゲームから逃れるためには、ある事象が、自分の現実の生活とどのように関連するのかを考えることだと思う。関連のあるものを思考の対象にし、関連の度合いより経済評価する。
こうすることで、バブル部分を確認することができる。バブルはバブルとして扱い、それに巻き込まれないことだ。

「老後は銀座で」山崎武也著(154頁)で、「高級かつ高額なために話題になっているところには、安易に行かないことだ。(中略)評判を聞いてから、多分何度も行くことになるだろうと推測できて初めて、足を運んでみる」という考え方は、参考になる。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2017年07月25日 | Permalink

攻めているのか、我慢しているのか。

いつも先手を取って進める気持ちでやってきた。攻める気持ち。守りも重要だが、自分には守ることを考えるだけの基盤はないと思っていた。

いつの頃からか、攻めても動けないときがきた。我慢のとき。攻めるのに良い時期なのか、その判断を求められる。時期尚早ならば、我慢して待つしかない。
もちろん、ただ待っているのではない。調査・研究しながら待つ。判断のためには、常に調査・研究が必要だ。

リスクも当然にとる。リスクをとるかどうかの判断のためにも、常に調査・研究が必要だ。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2017年07月19日 | Permalink

何度も読み返す本があるか。

三谷太一郎さんの「日本の近代化とは何であったか」 274ページに、「(以前購入した本について)以来、再三にわたって熟読し、傍線やコメントを書き込んだ書物ですが、漱石に刺激され、改めて読み直しました。」とあった。

本を多く読む人は、得てして本を1回しか読まないことが多いのではないか。これに対して、本を実行のためのきっかけにする人は、本を何度も読み返すと思われる。

読み返し方は、最初から最後まで通読すると言うやり方ではなく、必要なところを 目次などから探して読むこともできる。

私自身を振り返ってみると、本は一度読んだらそのまま書棚に置いておくことが多い。これは別の新しい本を読みたいという気持ちがそうさせているところもあるが、何度も読み返すことも考えたい。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2017年05月29日 | Permalink

情報の海をどのように泳ぐか?

現在の状況は、文書の量が極めて大きくなっている。また発信する文書も増えている。音声入力が進めば、文書の量はさらに拡大するだろう。

自分にとって何が必要かの観点が必要である。
Google検索できっかけをつかみ、ある程度の知識を得られれば、それで良いと考えるならば、さほど問題にはならないかもしれない。

しかし、世の中の本は、行動のためのきっかけとなることが重要だと考えるならば、情報の海をどのように泳ぐかが問題になる。社会にとっては、文書の要約が必要となるだろう。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2017年05月24日 | Permalink

新しい時代の文章

これまでの教育で、推敲は大事だと教わった。「僧は推す月下の門」という自作の詩句について、「推す」か「敲く(たたく)」か、どちらがより良いかを悩んだということだ。

しかし、推敲による差が、多くの人に理解されるかは、問題だろう。こうした違いが分かる人にとっては、大事なことかもしれないが、それよりも大筋がつかめるかどうかが大事ということは多いだろう。

文章の展開が、重要だと感ずる。
音声入力だけでは文章の展開が不十分となる。音声入力をするにしてもメモが必要である。
音声入力でできたものは、ブロックのような塊として考え、これを積み上げる方法で文章展開することが有効だろう。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2017年05月22日 | Permalink

音声入力作家

文章を音声入力で書いていこうと思う。

確かに、音声入力で実際に書いてみると、文章の言い間違いをしたときの修正の仕方や、まだまだ練習しなければいけない面が多いと思う。

しかし、口で話をすることでそれが文字になると言う事は極めて楽なことである。自分にとって、これから文書作成が多い大きく変わっていくであろうと思われる。


音声入力で文章を書くコツ。

文章作成するときには、ある程度の材料手元に置いて、その材料の中から文章を思い起こしていく必要がある。
したがって、文書作成にあたって大事な事は、その文章を考えるきっかけとなる材料を手元に置いておくことである。
話をすることでそれが文字になると言う事は、爆発的に文章量が増えると言うことになると思う。
少し前に、ある小説家が、テープレコーダーに向かって小説を述べていき、それを別の人が文字にするという作業をしていると聞いた。これと同じ状況に、今、私はあると思う。

口で述べた文章がそのまま文章として完成度が高いかと言われれば、確かに抜けていたり表現に緻密さがなかったりすることがあると思われる。
しかし、それ以上に楽に文章展開することができそれは自分の思考を自分の思考スピードで文章ができると言うことになる。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2017年05月19日 | Permalink

大きな成功は、多くの場合、運がいいことによる。

多くの人、もの、カネを使っての事業では、うまくいったときに振り返ると、何らかの運のよさを見つけられる。
運のよさが成功のすべてではないが、その運のよさがなければ、成功しなかったと言えることが多い。

こうしたことに気がつかず、成功は、自分の実力によるのだと考えるようだと、先が思いやられる。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2017年05月15日 | Permalink

人生には、いろいろな隙間がある。

仕事でも遊びでも家庭でも、活発に動いていると、いろいろな場面に出くわし、驚いたり、賞賛したり、嘆いたりする。これは、自分とは違った面(世界)に出会ったからだ。自分とは違った面(世界)が、自分の外にあると感じるときもあるだろうが、それが自分の中にあると感じるときも多い。
こうした経験を重ねると、自分の人生を完璧に理解していたつもりでも、実は分からない部分・知らない部分があることに気づく。

自分が理解しているポイントを集め、それで組み立てただけでは、実際の人生にはならない。人生は、そのようなスカスカしたものではない。表現の仕方が良いか分からないが、人生は、もっと詰まっている。重さがある。密度がある。

人生の分からない部分・知らない部分は、隙間のようにある。何もない隙間ではなく、何かある隙間。

こうした隙間を見つけることは楽しいことだ。それは、自分しか見つけられない。隙間に入ってみると、自分が小さくなって、隙間が巨大な空間になったりする。

こうした体験を具体的に語るのは、プライベート過ぎて、はばかられるが、例えば次のとおり。

信楽焼を見に行ったところ、「やきもの たぬきのルーツ図録」が300円で売られていた。信楽焼のいろいろなたぬきを見て回り、家に帰ってから、これを読んだ。

茶道の世界で、「掛け軸に描かれたタヌキの絵を見て談笑したり、或いはたぬきのやきものを茶道具の一つに取り入れていったように考えられる。」とあった。そして、その後、やきものとして展開されていく。

やきものとしてのたぬきについては、これまであまり意識して見てこなかったが、ぶたの置物を集めている自分の体験と合わせると、たぬきとぶたの違いから来る差異もあるが、しかし、根本で同じところを感じる。

ぶたの置物を通じて、何となく感じていたそれを作った人の気持ちと響きあう。たぬきとぶたが響きあうだけでなく、それぞれを作った多くの人同士も、また、自分とも響きあう。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2017年04月18日 | Permalink

金持ち喧嘩せず。

これは、自分に向けて言う言葉だ。
 自分は喧嘩しないことを伝えるために、これを言っては、高慢と受け止められる。
 相手に対して、喧嘩しないようにと言うために、これを言えば、効果があるかもしれないが、自分よりも金持ちに言う場合だろう。しかし、金持ちには、その人なりの判断があるので、余計なお世話にもなりかねない。

結局、自分の現在の立場をよく考えて、対処しようということだ。

この言葉の意味は、文字通りだと思うが、なぜこう言うのかは、いろいろな理由があると考えられ、この言葉の使い方は、幅が広い。
自分の決断を促す言葉だ。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2017年04月05日 | Permalink